愛子さまが同学年の児童から乱暴な行為を受けていたことが問題になっている。「学習院」や「宮内庁」を巻き込み、学級崩壊やいじめが皇族の通う私学まで及んだように報道されているが、果たして本質だろうか。愛子さまも気の毒でならないし、皇室と国民を並列で扱う一部報道の姿勢にも問題がある。学校の管理責任だけを問うのも問題解決にならない。
私も幼稚園、初等科と計8年を学習院で過ごした。その卒業生の一人として言わせてもらえれば、長い間、皇室や日本に関する教育が十分でなかったことに問題の根幹があるように思えてならない。学習院の元科長の先生方は一様に「低学年では皇室が普通と違うことは分からないから仕方ない」というコメントを発している。また、ある皇室ジャーナリストは「学習院は高い倫理観と規律を教える」と語るが、どちらの発言にも違和感がある。つまり、学習院だからこそやらなくてはならない独自の教育があるはずだが、卒業生としてそうした実感がなかったことに尽きるのだ。
学習院は華族女学校が前身である。明治時代に水戸藩の国学者だった私の曽祖父、林甕臣も創設に参画し、同校の教授(国語学)となった。皇族や華族、士族のために作られたのだが、曽祖父の時代から戦後を通じても、指導者の血族として、国の成り立ちや指導者のあり方などについて、高い規範意識や倫理観をもって教えていたのだろう。しかし、実体験から言うと、そうした教育の一端に触れることはなかったと、振り返っても残念に感じる。もちろん、立派な先生も数多くいらっしゃったが、教育の不徹底は戦後から時代が経ちすぎたせいだろうか。
例えば、学習院の「院歌」については詳しく意味やメロディを学んだが、「君が代」については学んだ記憶がない。もちろん、国旗の大切さや皇室についても同様である。今思えば、先生方は日常教育を通じて、そうした教育を間接的に伝えていたのだろう。あえて教え込まないことが学習院の美学なのかも知れない。しかし、今回の愛子さまが乱暴行為を受けたことで、私が卒業してからも、そうした教育方針はますます緩やかになり、規範意識を体で学ぶ機会が極めて少なくなったのではないだろうか。
皇室の方が学友であるという機会は人生を通じてもそうあるものではない。学習院はそうした稀有な事例を自覚し、日本の皇室そのものが、日本人のルーツであり、日本の精神そのものであることを小さいうちから学ばせるべきだ。それが学習院の価値が最も光るし、国益にも大きく資するし、ひいては日本人の財産にもつながるだろう。
特に日本の成り立ちや歴史、さらに皇室の生き方そのものが「公」であると、子供のうちから善行を教え込まなくてはならない。終戦直後、先帝陛下がGHQのマッカーサー元帥に対し「私は処刑されてもいいから、国民を助けてほしい」と申し出た時、マッカーサーは命乞いをすると思っていたので、衝撃を受けたと聞いている。同じエンペラーの呼称でも、満州国の皇帝溥儀はソ連軍に拘束されそうになると、国民を見捨てて飛行機で逃げようとし、連合国の裁判では「全て日本軍に押し付けられた」と責任を回避する様子とはあまりにも対照的だ。こうしたエピソードを子供たちに紙芝居などで話し、愛子さまもそうした血をひいているということを肌で実感させることが、子供たちにも「公」の精神を啓発させることにもつながるのだ。
学習院は今回の一件を重く受け止め、これを機会に日本人の素晴らしさや精神を子供たちに教える良いきっかけとすることを卒業生として願ってやまない。
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