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2月11日 職業としての左翼

  今日は紀元節。朝は地元の稲荷で式典に出席。続いて、日本会議神奈川支部の祝
典が鶴岡八幡宮で開催された。私も日本会議湘南支部の顧問を務めている。同会議も
政府与党の推進する外国人地方参政権や夫婦別姓など国家解体法案に対する言いよう
のない危機感から昨年にも増して運動が活発化しているのを感じる。

 それにしても、朝日新聞朝刊社会面の「陸自連隊長が同盟は信頼という言葉で維持
されぬと発言」とした記事は噴飯ものだった。日米共同演習で、陸自の代表者が「同
盟関係は『信頼してくれ』などという言葉で維持されるものではない」と訓示したこ
とは極めて適正だ。オバマ大統領に対する鳩山総理の「トラストミー」という訳の分
からないオコチャマ発言を暗に批判しながらも、公務員としての分限をわきまえた極
めてユーモラスあふれる発言である。連隊長の訓示は「こんな総理の下では命をかけ
て戦えるわけないし、日米同盟の前提さえ崩れてしまう」という隊員たちの不信感
を、限られた言葉で代弁しているのではないか。文言自体は特定の政治家の発言を批
判しているわけではないので、セーフである。

 こんな言葉使いの巧さを朝日新聞ともあろうインテリの総本山がどうして理解でき
ないのか、それとも彼らの主張に反しても叩けないから悔しまぎれに記事にしたの
か、それは分からない。一等陸佐が訓示した発言を問題視し、批判したつもりだろう
が、こんな当たり前の主張を問題にする方が問題である。これが朝日的ジャーナリズ
ムといえばそうだが、こうした国益も常識も顧みない記事と、記者の主観、朝日新聞
全体の社風を気の毒に感じる。記者自身が本当にニュースと感じているかも大切なの
だ。

 私が記者だった時代も似たようなことが多々あった。ある町議会の町長(助役だっ
たかも知れない)が「指導力のない教師は去ってもらいたい」と教職員組合を暗に批
判する内容を町議会で答弁したところ、たまたま議会を傍聴していた北海道新聞(朝
日新聞と主張は同じ)の記者が、その発言を無理やり批判記事にして社会面で書き立
てた。翌日の朝刊で支局長から「(スクープを)抜かれたから追って(記事にして)
くれ」と叩き起こされた。

しかし、私は何がニュースか本当に分からなかった。私は支局長に「日教組の指導力
がない先生は、悪平等の精神を植え込み、間違った平和教育を教え込む日本の害悪
だ。子供をダメにする教育をしているのに、こんな記事を追ったら、マスコミ全体、
いや日本全体の考え方がおかしくなる」と仕事をボイコットした。社内からも「抜か
れているのに自分の仕事のミスを主義主張で糊塗しているのでは」と批判も出たが、
当時の支局長が「林はそういう思想ですから、プライドで書かないでしょう。従って
先輩の記者にやらせました」とデスクに報告し、かばってくれたのを思い出す。私の
記者としての考え方を尊重してくれた支局長に感謝しているが、朝日新聞にいたら、
そうはいかなかっただろう。

 テレ朝報道番組のニュースステーションも同様だ。キャスターが変わっても、人間
性から主張まで変えられるような感じがする。久米宏氏も古館伊知郎氏も歌番組やプ
ロレス中継をしていた際にはそんな主義主張とは知らず、ファンだった。しかし、彼
らがニュースのねつ造にも似た論調を繰り返すにつれ、自分の考え方とは全く違うこ
とに気付いた。

 例えば、靖国参拝がそうだ。総理大臣が国のために礎となった戦没者を祀ることが
なぜいけないか?政教分離を定めた憲法20条はあるとしても、平和と繁栄の時代に
生きる我々が、先人の労苦に感謝することがなぜいけないか?参拝が戦争賛美、ある
いは特定の宗教を優遇することにつながるとでも言うのか?本来、当たり前のことで
ニュースとして批判する類のものでないことが、ニュースになっている。古館さんも
局のアナウンサー時代は(例えば、肉じゃがが帝国海軍のメニューから発祥した事例
を紹介するなど)かなり分別ある発言をしていたと思うが、番組が人を変えたのか、
文化大革命のように強制的に自己批判させられたのか不明だ。

 ジャーナリストはまず考えて報道すべきである。「職業としての左翼」に無自覚に
なってはならない。戦後民主主義は未だに我々の脳裏にこびりついている。