慶大弁論部時代「人生の学校」〜猛成長〜

「体張って国民の利益を守ろうっていう姿勢が、僕には全然感じられない!」



 この日を境に、彼は猛然と勉強し始める。まず古本屋に行って官僚制や、
各国の政治制度についての本を読み漁り、そして友人に議論をふっかけること
が趣味になった。時に1992年、ソ連とともに冷戦構造も崩壊し、学生の政治離
れは進みに進んだ。学生運動の残り火も見えないディズニーランド化した大学
で学生達は遊び回る…といった時代である。
「異色の存在だったね。クラスの友達には煙たがられたものだよ。“そんなこ
と、どうだっていいじゃん”ってね」と、彼は笑う。

だが、その時彼は夢中だった。彼は政治に“取り憑かれ”てしまったのだから。

 そしてその情熱は、彼の控えめな、人前で話すのが苦手な性格もことごとく
変えていく。彼は「人前で話すのが苦手だから」と127年の歴史を誇る名門、
慶大弁論部に入部する。そこで議論し、学び、経験し、当時の各政党の青年部
とも交流し、彼は成長していく。
その成長ぶりが最も垣間見えたのが1993年、彼が20歳の頃の社会党緊急対策
会議であろう。1993年6月、社会党は都議会選挙にボロ負けし、議席が半分に
なった。衆議院を控えた大事な時期だった。「この辺で若いアイディアを借り
よう」と思ったのだろう。社会党本部に慶応弁論部の彼など、学生の代表者を
呼んだ。
 そこで彼は、当時の社会党の山花貞夫委員長をはじめとして、労働団体や教
職員組合の幹部、社会党員、支持者などが数百人ずらりと居並ぶ中で、社会党
執行部を真っ向から批判するのである。

「社会党は改革改革って言っても、それがポーズであることぐらい国民はちゃ
んと見抜いているんですよ! 体張って国民の利益を守ろうっていう姿勢が、
僕には全然感じられない。それができてこその野党第一党でしょう!?だから、
野党第一党にはそれだけの責任もあるってことですよ!」

 彼は熱く語った。後ろの方の座席から拍手が起こった。
拍手の渦の中、彼の中でもまた、何かが確実に変わっていた。

 だが、彼は当時の自分を「あの時は若かったから、あんな大胆なことができ
たのかもしれない」と振り返る。そう、当時の彼は政治の持つ“汚なさ”に気
づいていなかった。
だが、彼はそれをやがて知ることとなる。この上なく厳しい“具体例”によっ て。

1.プロローグ「ゼロからのスタート」
2.18歳 天啓「政治家になることを決意」
3.慶大弁論部時代「人生の学校」〜猛成長〜
4.毎日新聞記者時代「政治の“裏側”を取材!」
5.退職「それから」 〜孤軍奮闘〜
6.衆院選「いざ、鎌倉!」
7.惜敗の後に・・・
8.二度目の挑戦
9.原点、そして通過点