毎日新聞記者時代「政治の“裏側”を取材!」


一番人間臭かったのは、金権政治家の権化だと思っていた佐藤孝行さんだった
ね。



 慶大を卒業した後、彼は毎日新聞社に入社する。政治家の秘書など、政治関
連の仕事をやる道もあった。だが、それでは現在の永田町感覚を当たり前に感
じ、それに流されていってしまうと考えたのだ。まず新聞記者や弁護士など少
し離れた所から政治を見て、その間に準備をしてから出馬したいと考えた。大
学4年時は司法試験の勉強をしながら新聞社・テレビ局などマスコミの入社試
試験を受け、見事毎日新聞社の内定を勝ち取った。

「35歳までには出馬しよう」
「そして、当選回数主義や派閥政治を破壊してやるんだ」

 そう考えて、彼は毎日新聞社の門をくぐった。
 この新聞社で、一年目は広告整理部、二年目は北海道報道部の警察担当記者、
三年目は函館支局記者、と部署を回る。函館支局。ここに、彼に政治の恐ろし
さ、難しさを見せ付ける人物がいた。
 佐藤孝行。元総務庁長官。「総理大臣の犯罪」として有名な「ロッキード事
件」に受託収賄容疑で逮捕され、有罪判決を受けた人物である。その上に有罪
が確定しても「無罪」を主張し続け反省しなかった、当時でも「金権政治家の
権化」のような人物だった。そして、林じゅんが配属された函館市では、その
佐藤氏が国会議員として再選されていた。だから、彼にとってその町は非常に
興味深い町だった。
「収賄という権力犯罪の有罪人である政治家が再選しているなんて、いったい
どんな住民なのだろう?」

 しかし、そんなに物事は「悪」「善」ときれいに分かれるものではなかった。
「金権政治の権化」と思っていた佐藤氏は、意外にも人間臭い人物だった。佐
藤氏は、
古い、不器用な政治家だった。だが、信念を持っていた。詳しく話を聞くと、
何もコネが
無いところを地元の代議士に土下座をして秘書にしてもらうことから始めたよ
うな、忍に忍耐を重ねる人だった。ロッキード事件について、地元の人からは
「佐藤さんは別の人の罪を被っただけなのだ」という同情論も多くあった。
 さらに、その地域で行う選挙戦の厳しい現実も知ってしまった。そこでは、
買収は当たり前のこととして存在していた。むしろ、金を渡さないと相手にし
てくれないような実態も取材を通じて見聞きした。汚い世界だった。だが、そ
それがそこの現実だったのだ。

 彼はその「現実」を丹念に見据えた。
人間臭いのにうまくいかない佐藤孝行を。
利益誘導など、20世紀型の古臭い政治を求めるこの地域を。

「補助金漬けの地方の現状からすると、本当の自立なくしてはこの町は絶対
に発展しない」。そう思った。問題点がわかる。見える。いても立ってもいら
れなくなった。すぐに政治家になりたいと思った。丁度政治の風向きの変わり
つつある頃でもあった。
 2000年6月の総選挙では、佐藤氏が落選。担当記者として佐藤氏を見届けた。
都市部でも自民党の大物が次々と落選した。
その夏、自民党宏池会の加藤紘一会長(当時)が、都市部で自民党候補が敗
れた事例を「一区現象」として危機感を募らせ、派閥として「国政候補者公募
試験」を開催することを決めた。当時は斬新な「自民党の公募」として新聞報
道もされ、インターネットでも話題になった。「斜陽の日本を救う有為たる人
材になりたい」と林じゅんは新聞記者在職中に同公募に応じた。弁護士や会計
士、キャリア官僚、大学研究者ら約160人が応募し、書類選考や論文、面談を
経た試験だったが、合格者の5人に入ることができた。面接官は柳澤伯夫・元
金融担当相を選考委員長に、政策新人類と言われた石原伸晃・元国土交通相、
塩崎恭久・衆院議員ら改革派が勢揃いだった。初めての経験だったが、国政入
りのきっかけはつかむことができた。
自民党の多くの国会議員と交流し、選挙する現実もある程度知ったつもりであ
った。
「今、目を背けてやらないで、ジャーナリストとして現状をいくら書いたって
政治はもう混迷するばかり。今こうしてる間にも経済は落ち込んでいるんだ」。

 参議院選挙の取材を終えたばかりの2001年10月。彼は、6年半勤務した毎日
新聞社を退職した。29歳の決断。

 この時、彼は希望に溢れていた。だが、現実は常に予想を超える。
この時も、例外ではなかった。

1.プロローグ「ゼロからのスタート」
2.18歳 天啓「政治家になることを決意」
3.慶大弁論部時代「人生の学校」〜猛成長〜
4.毎日新聞記者時代「政治の“裏側”を取材!」
5.退職「それから」 〜孤軍奮闘〜
6.衆院選「いざ、鎌倉!」
7.惜敗の後に・・・
8.二度目の挑戦
9.原点、そして通過点