text12月23日
 皇居に行き、天皇陛下の72歳のお誕生日をお祝いしてきました。
宮中に通され、ロイヤルファミリーが居並ぶ中、正午より、 儀式が始まりました。式ではモーニングか紋付袴の正装が義務付けられています。

 生まれて初めて着るモーニングは、お招きが分かってから急いで 仕立ててもらい、前日に納入されたものです。また、当日は 夫婦のみの相伴が許されていますので、招かれた一年生議員の多くが、 こうした派手やかな場に妻を伴ってやってきました。

 私の場合シングルなので、かなり肩身が狭かったのですが、ほかの若い 独身議員もシングルが十数人おり、彼らと「今度の 機会までに頑張ろう」と苦笑しました。そういえば、祖父・林武が皇居に 招かれたのは、文化勲章を受章した昭和42年のことで、祖母を伴って 行きました。祖父70歳のことです。国会の議員会館の私の部屋には、 祖父母の写真が飾ってあります。
こうして35年以上経って、孫の私が国会議員として皇居に行くのは 何となく感慨深い反面、国民の代表者としての重責を 感じます。

 食前酒で乾杯した後、天皇陛下万歳で両手を挙げます。メニューは かまぼこや鯛のそぼろご飯、鯛の尾かしら、鯉の味噌汁、 茶碗蒸しなど比較的質素な和食です。席順は、天皇陛下に近い席は 小泉総理や閣僚が占めますが、それから年齢順に 遠い席となります。私は国会議員席では年齢が一番若かったため、陛下 からは一番遠い席でした。斜め向かいは気象庁長官が座っており、 最後列は事務次官や行政職長官という役人の最高ポストが占めておりました。

 記者時代、今から7年前、陛下が北海道奥尻島の被災民の方々を お見舞いされた際、私は同行取材をしておりました。陛下のお人柄にふれるに つれ、当たり前のことですが、一切の私心なく国民全体のことをお考えなされて いるのを強く感じました。敗戦後、昭和天皇はマッカーサー元帥が厚木に降り 立った際、面会を申し入れたそうです。マッカーサー元帥は命乞いに来たと思い ましたが、昭和天皇が「自分の命はどうなっても良いから、国民を助けてほしい」 と話したそうです。GHQは当初、天皇も戦犯として裁く方針でしたが、この天皇 の国を想う姿勢と国民感情を尾を考慮し、戦後政策を天皇を生かして利用 するように転換したと伝えられています。つまり、天皇という存在自体が、この エピソードにあるように「公」という概念なのです。

 来年の通常国会には、皇室典範改正の審議が行われる見通しです。
この「公」の概念がなくならないように皇室典範の 議論がなされ、天皇陛下を象徴とするこの日本が、国民とともに益々発展する ことをお祈りした一日でした。




閉じる