1月2日
「男たちの大和」を見て

 年末から年始にかけて130件以上の忘年会・新年会が入っています。 元旦の昨日も、いろいろな団体や神社で顔合わせしたので、本日は鋭気 を養う日としました。しかし、年末大掃除の続きも残っており、掃除の後に 初詣を済ませ、昨年から話題作となっていた映画「男たちの大和」をレイト ショーで見ました。

 この作品は言うまでもなく、太平洋戦争末期の昭和20年4月、米軍 が沖縄に上陸作戦を展開していたころの話です。敗色は濃厚というか、 日本は破滅への道を歩んでいました。軍首脳部は本土決戦で一矢報い ようと、現存の航空兵力を温存する方針に転換しました。結果として沖縄 は本土決戦準備のための「時間稼ぎの捨て石」として扱われ、本土からの 補給もなく、航空機の援護もないまま、殺戮だけの阿鼻叫喚の戦場とな ったのです。今の沖縄県民で親族が戦争の犠牲にならなかった人はほとん どいないでしょう。米軍は沖縄本島に対し、艦載機による空襲の後、戦艦 による艦砲射撃。75ミリ砲を搭載した戦車とともに米兵が上陸し、戦闘員 か非戦闘員か問わず火炎放射器で洞窟を焼き払います。60万人の県民 のうち、20万人以上が戦死しました。その位凄まじい一方的な殺戮でした。

 海軍は連合艦隊のシンボルであった世界最大の戦艦「大和」をこの時点 で持っていましたが、当時の世界戦略でも戦艦はもはや時代遅れで、航空 機に勝てないことが立証されていました。たった一隻で一億四千万円という 建造費をつぎ込み、当時の国家予算の3%(今の防衛費は約6%)を使 いました。このため、このシンボル「大和」に死に場所を作ろうと、米軍に制 空権がある東シナ海を、航空機の護衛なしで鹿児島から沖縄に突撃させ たのです。

 「男たちの大和」はこんな時代背景の中、無謀であるが、流れが止めら れなかったこの作戦で、死にいかざるを得なかった若い下士官や水兵の視 点から、述懐しているのです。賛否はいろいろあると思いますが、戦争を美 化しているわけでもなし、センチメンタルに描いているわけでもなし。みんな がいろいろな視点で鑑賞し、先の大戦を再考するきっかけになればと思い ます。制作費も桁違いだし、血糊もかなり多く使っており、時代考証もかな り正確なものでした。ただ、当時の青少年たちが、自分の国を救うために、 命や財産、労力を捧げたり、とにかく必死でやっている様子が印象的でした。 国民全体が、愛国心だとか別に格好つけているわけでもなく、「自分が頑 張れば、日本が勝てる。家族が救える」と信じていたのだと思います。

 私は一政治家の視点から「このとき政治家は何をしていたんだろう」と見 ておりました。吉田茂は戦後の総理在任中、党人政治家を重用しなかっ たことに対し「やつら党人政治家は、戦時中に軍部の権力を恐れて何も 発言しなかったからだ」と反論しています。一部に斉藤隆夫や中野正剛な ど、軍首脳部に真っ向から発言する勇気ある党人政治家もおりましたが、 辞任や自害に追い込まれました。吉田茂も昭和20年、海軍の潜水艦で 北極海を通ってイギリスとの講和条約を模索する密命を受けます。密命を 果たそうとしているうちに、内容はばれなかったものの陸軍から自由主義者 として逮捕、拘置された経験があります。

 しかし、戦争を終わらせるのも政治家や軍首脳部の力なのです。天皇 陛下のご英断により、その年の8月にポツダム宣言受諾となりますが、 広島や長崎に原爆が落ちる前に受諾できなかったのでしょうか。もっと言 うと、ミッドウェー海戦とは言いませんが、せめて艦載機と空母がなくなって、 戦闘能力を確実に失ったマリアナ沖海戦で、東条内閣が総辞職した後、 つまり昭和19年7月の時点で、終戦工作を本気で考えた政治家がいな かったのでしょうか。より血を流さなくても済むよう、政治にも命がけが必要 なのです。 

 この作品を、特に多くの若者たちに見てもらうことで、こうした先人たちの 血の礎があって今の日本の繁栄があることを改めて認識し、平和の尊さ を感じてもらうきっかけになれば、素晴らしいと思います。




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