林武と「美に生きる」


時は数也。数は力也。

力は光也
されば人は日々寸暇を惜みて働らけ
光は視る
光は力也。
力は数を自由自在となす。

(林武手稿より)

林武(1896〜1975)
明治29年(1896)、父甕臣、母とくの五男(6人兄弟の末子)として生まれる。
持病の胃潰瘍に苦しみながらも
大正10年(1921)、愛妻幹子をモデルと
した《婦人像》が第8回二科展にて初入選、樗牛賞を受賞。
その後独特の構図法を開拓し、画壇に確固たる地位を築く。
52年東京芸大教授。67年文化勲章受章。
代表作に「梳る女」((昭和24年)、「赤富士」(昭和42年)など。
著書『美に生きる 私の体験的絵画論』(講談社現代新書60)は30万部を突破する
大ベストセラーとなった。
その奥深い宇宙観に基づいた力強い画風は、現在でも多くのファンを魅了している。

<作品について>


梳る女』 昭和24年(1949)
第3回美術団体連合展
大原美術館蔵

 発表当時から高い評価を得て、第1回毎日美術賞を受賞する契機となった代表作。
林武は、この作品について「絵全体としてバックと実体の割合は動かし難い緊密な 奥行きとしての均衡を保つことを得た」と述べている。
 完成まで約40日を費やしたというこの作品は、独自の構図法“つりあいの美学”に基づいてかなり手が加えられている。林武は1942年頃からずっと構図法の研究に没頭しており、この作品はその長い試行錯誤の素晴らしい結果であった。

十和田湖』 昭和28年(1953)
国立公園絵画展
国立公園協会蔵


 国立公園絵画展のため、十和田湖畔で二ヶ月近くを過ごした時の作品。
この作品について、林武は「今度の制作でチューブから直接絵具を配置するやり方、独自な方法を得たことも1つだが、天候にたたられたことが逆に幸いして宿舎の一室で終日、風景と人物や静物との造形上の関係を共通の立場に立って研究できたことは大きな収穫だった」と語っている。

静物』 昭和40年(1965)
第33回独立展


 この静物画の配置について、林武はこう言っている。
「なんの気なしに置かれた配置。そこに絵画的な構成を見出す。そこに物理的な均衡がある・・・。これを絵に書こうと思つてやるならば、実用がすなわち永遠性をもつ、そういう絵画になるのだと私は思つています。絵面をよくしようと思つて構図すると、かえつて見せかけの不自然な静物画になってしまうものです」

赤富士』 昭和42年(1967)
第6回国際形象展
彫刻の森美術館蔵


 孫・林じゅん(自民党神奈川第四区立候補者)が衆議院選挙に立候補する際、これを見て強く背中を押されたという林武の代表作。
 林武は生涯に何度か富士に取り組んでいる。
 富士山について著書『美に生きる』で触れ、このように述べている。
「富士山の美しさは完璧な均整美である。すばらしいつりあいの形であり、あのように均衡の美をもった高い山は、世界のほとんど類がない。ありとあらゆる人が見て、美しいと感じるつりあいの美の、一種の見本である」

薔薇』 昭和50年(1975)
第13回国際形象展


 薔薇は富士山と並んで林武芸術を代表するモチーフである。
林武の薔薇と言えば、赤のバックにこってりと絵具を厚塗りした花びらが華麗な力強い作品が多い。だが、死去した時アトリエのイーゼルに残されていたと言われるこの作品からは、何か気品と崇高な印象が感じられる。