●真の平和で豊かな国にするためには歴史認識が必要だ 政治家の本来の責務は「国民の生命と財産を守ること」です。冷戦時代には、日本はアメリカの核の傘の下で、軽武装にとどめながら、経済繁栄に専念することができました。しかし、近年の9・11テロや北朝鮮の核実験などにより、これからは国家としての主体的な外交が求められています。 そのためには、日本が国家として一定の歴史認識を示し、その認識に沿った外交や、国際社会へのメッセージを訴える必要があるのではないでしょうか。先の大戦による敗戦で、日本は焼け野原になりました。昭和19年から始まったアメリカの戦略爆撃機B29の空爆により、日本の主要都市は焦土と化しました。翌年4月には沖縄戦、8月には満州でソ連が参戦。日本はウランの原子爆弾を広島に、プロトニウムの原子爆弾を長崎に落とされ、8月15日にポツダム宣言を受諾しました。徹底的に負けたものの、日本人のその精神力や国力の底力に対し、アメリカはじめ連合国は脅威を覚えました。 なぜなら、日本は当時、アジアで唯一重工業を興し、世界水準の航空機や軍艦など近代兵器を国産で生産し、欧米各国の列強と対等に戦ったからです。アジアの民族は、タイ王国を除けば欧米列強の植民地になり、奴隷的な扱いを受け、経済を支配されていました。こうした状況で、日本は国際連盟で人種の平等を訴え、白色人種中心の国際社会にアンチテーゼを唱えました。満州事変を起点とすれば、終戦まで15年です。昭和12年に盧溝橋事件が勃発し、日中戦争に突入。昭和15年に日独伊三国軍事同盟が締結され、日本軍は仏印に進駐しました。その後のアメリカによる石油禁輸措置や資産凍結措置。翌16年に経済的に困窮し、ハル・ノートを拒絶した日本は、アメリカ、イギリスに宣戦布告しました。日本に比べると、アメリカは当時、国力が60倍以上もありましたし、講和条約までシナリオを考えていない宣戦布告はまさに「無謀」という以外言葉が見当たらない開戦だったと言えます。 この間の日本のアジア進出は、私個人としては「侵略的要素があった」と考えています。しかし、アメリカやイギリスに対しては、必ずしも「侵略である」と断定することはできないと考えています。日本が国際社会の中で真に名誉ある地位を占めるためには、こうした歴史認識についても、国家として検証する時期が来ています。 先の大戦から60年余。靖国神社に祀られている300万人余の英霊はじめ、東京大空襲や広島・長崎の原爆、沖縄戦などで命を落とした多くの非戦闘員の方々に心より哀悼の意を表します。これまでの歴史や日本人の精神構造を考え、日本の国づくりをすることが、私の政治理念の原点です。 皆様からたくさんの応援により、国会に送り出していただき、国会議員として一年余が経過しました。平成18年の夏は、小泉総理が就任後初めて、終戦記念日に参拝。また、北朝鮮が日本海に向けてミサイルを発射するなど平和を考える上で象徴的な出来事が数多くありましたが、ひと時も平和について忘れた日はありません。 私も先の大戦で親族を失った一人です。私の祖父の弟は、昭和19年10月にレイテ沖海戦で戦死しました。祖父からは、輸送船で台湾からフィリピンに向かう途中で戦死したと聞かされており、戦死公報のスクラップを見せられました。戦争末期の当時、アメリカの潜水艦や空母艦載機に席巻された太平洋の海上に、護衛なしで輸送任務をしなくてはならない状況を、私の家族がどう感じたか。家族みんなが平和に暮らすことのできる、この日本の大切さを実感せざるを得ません。同時に、政治家として現実的な対応も欠かせません。 戦争を実際に体験した世代が少なくなる中、国民全体がもう一度先の大戦を振り返り、知っている世代が知らない世代に語り伝える努力が必要です。 今、日本は歴史的転換期に入っています。安倍内閣が戦後初の自主独立を目指す内閣として「戦後レジームからの脱却」を掲げ、新たな船出を始めました。また、戦後60年間、国会で本格議論されることがなかった「教育基本法改正案」が与党で合意し、法案として提出されました。また、日本国憲法の改正手続き法となる「国民投票法案」も成立が期待されています。その上で、憲法の平和理念を生かしながら、時代に即したものに改正するにはどうしたらいいのかという国民的議論を巻き起こさなくてはなりません。 |