●リーダーの覚悟ひとつで日本は尊敬される国に変わる

 歴史的転換期だからこそ、リーダーが日本人の生命、財産と、日本の国益を守ることができるかが大きな課題となります。過去の歴史に反省を持たなかったり、いたずらな右傾化は慎むべきですが、やはり歴史転換期の歴史総括は必要なのです。
 私が考えるに、国として、先の大戦に関する総括があったか疑問に思います。平成7年の戦後50年の村山談話を総括と考えるなら、日本は謝罪外交・土下座外交から脱却できません。なぜなら、「国益」という視点が全く欠けているため、日本の外交戦略が定まらず、国益も国民の名誉も守ることができないからです。
 総理大臣が靖国神社に参拝するかしないかという、いわゆる靖国問題は、日本国が定まった歴史観を持たない、あるいは持てないところに原因があります。小泉総理は在任最後の年の平成18年8月15日に靖国神社を参拝しましたが、この行動が即、先の大戦を正当化したり、戦争指導者を賛美したりするものではないことは明白です。国民の代表者中の代表者である総理大臣が、戦没者を悼むために慰霊施設である靖国神社に参拝できないのでは、国のために戦死した方々が果たして報われるのか、疑問に思います。
 当然、A級戦犯が祀られている神社に総理が参拝することが、戦争で被害を受けた中国人民の心情を著しく傷つけるという中国側の主張には耳を傾ける必要はありますが、日本も粘り強く主張を重ねなくてはいけません。
 例えば、日中平和友好条約では、戦時の補償について中国側は一切の放棄をする取り決めがあります。つまり、法的、あるいは政治的な戦争責任について、日本は責任を果たし終わったという証左です。これは国際法の常識です。ODAが戦後補償の代わりという議論はおかしいし、仮に戦争責任を果たしてないとすれば、道義的責任だけ問われるべきであるということを明確にする必要があります。政教分離に抵触するかという問題も、係争中で司法判断は決着していません。さらに、私は反対している案件ですが、国内に国立追悼施設建設や、A級戦犯分祀の議論があることも付け加えなくてはなりません。
 また、アメリカの戦没者を祀るアーリントン墓地があります。南北戦争で奴隷制度を推進した南軍の兵士も祀っていますが、大統領が墓地に行く行為そのものが、奴隷制度を容認することにならないこともまた明白です。
 つまり、こうした主張にしっかりと論理的に反駁し、国益を守っていくには、リーダーの覚悟ひとつだということなのです。こうした歴史認識の問題で、安倍総理は「歴史に対して謙虚であるべきだ。後世の歴史家にゆだねるべきだ」と慎重な物言いに徹しています。問題の先送りではないでしょうが、岸総理が安保改定をなしてから退陣したように、内閣の命と刺し違えてでも勝負する瞬間を待っているように感じます。
 私は国益を守ることができる政治家を目指し、これからも体を張って国会の場で闘ってまいります。




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